ここから、

日々のことをつづりながら
子どもの成長を見守ります。

「かわいそうな子」についてー親の気持ちの整理の一環


その通りだと思った。
私がうちの子を「かわいそうな子」にしてしまっている。
考え方を変えなければと思うが
なかなか、人間うまくいかない。


私は自分自身を「かわいそうな子」と思って大きくなってきた。
だからつい、自分の子どもは
「かわいそうではない子」になってほしいと願ってしまう。
それで、子どものほんの少しの挫折が、なんだか耐えられない。
そう。
それは多分、うちの子を自分の分身みたいに感じているからかもしれない。
自分が傷ついているようで、見ていられないのかもしれない。


この受験にしても
人生がすべてなくなってしまうような大きな挫折でなく
また、人生そのものの不幸を意味しないことなんて
ちょっと考えればすぐわかる。
今回もただの人生の分岐点で、一つの道が開けて進んでいくだけ。
その先には、もっともっと分岐点がいっぱいあって
その時々、何かを選択していく作業が繰り返され
その時々、選んだ何かの中で、本人が幸せと感じられれば
それでいいんだ。


本人が幸せに感じられることを見つけられる力があると
信じてあげられればいいのだけれど
そこが、私には難しいのだな。
私自身が、過去の「かわいそうな子」だった自分を
引きずって生きているから。


自分と子どもは、違う人間で、違う人生を歩いて行く。
子離れをしなければならない自覚が足りてないことが
うちの子を「かわいそうな子」にしてしまう。


自分が自立しなければいけないですね・・・


早く4月になって
次のステージが始まってほしいような
もう少し時間をかけて
子どもとの関係を自立したものにしたいような


複雑な心境です。